海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第32号】 海上自衛隊での活動を通して学生時代の夢を実現する 一般社団法人DSC 自衛隊応援クラブ

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海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第32号】

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2022-5-9

海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第32号】 - 海上自衛隊での活動を通して学生時代の夢を実現する

海上自衛隊での活動を通して学生時代の夢を実現する

コロナ感染者ゼロ、海上自衛隊最高教育機関の重責を果たすべく、どのように取り組まれているのか。学生時代に憧れた職業を海上自衛隊の職務において経験された、自衛隊で働くことの魅力についてお話を伺った。


海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第32号】 - ■内外の英知を結集して部隊指揮官・幕僚を育てる幹部学校

■内外の英知を結集して部隊指揮官・幕僚を育てる幹部学校

海上自衛隊における幹部教育機関といえば、多くの方々は江田島の幹部候補生学校を思い起こされるのではないでしょうか。幹部候補生学校は、防衛大学校や一般大学を卒業して入隊した22歳前後の若い幹部候補生が、幹部になるための基礎教育を受ける学校です。それに対して、私が校長を務める幹部学校は東京の目黒にあり、10〜20年程度のキャリアを積んだ3佐から1佐の幹部、または25年以上のキャリアを積んだ将官が、部隊指揮官または幕僚としての職務を遂行するために必要な高度な知識技能を修得するための教育訓練を行う学校です。

私の勤務方針は、「知的創造」です。海上自衛隊は洋上が活動の中心であることから、その活動範囲は世界中に及びます。このため、国際情勢や国際法への理解や外交等の国際感覚を醸成するとともに、何が起こるかわからない洋上で、刻々と変わる情勢の変化に対応できるような柔軟な発想が求められるのです。そのため、本校では専門知識を備えた自衛官の教官のほか、一般大学の教授や国内外で活躍されている外交官、官僚、ジャーナリスト、日本の伝統文化の継承者として活躍されている方々、さらには米海軍や在京大使館の武官など、部外から幅広く講師を招聘して、幅広い視野をもつための教育を実施しています。

私が本校に着任したのが2020年12月。まさに新型コロナが拡大中のタイミングで、所在地が感染者の最も多い東京都内ということもあり、感染拡大防止に最大限留意しながら教育を継続することを任務の第一としてきました。マスク着用や手洗い等の基本的な感染症対策の徹底、県境をまたぐ移動の制限、さらに毎日の検温や時差通勤、状況に応じた交代制勤務など、様々な対策を実施しながら教育の質を維持していくことは簡単なようで非常に困難でもありました。
例年行っていた国際シンポジウムも従来のように各国からパネリストを招聘して一堂に会するということはできません。そのため初めてオンライン方式を導入し、ときには完全なオンライン方式、または日本国内にいる方のみを学校に招聘し、海外のパネリストはオンラインで参加するハイブリッド方式も採用しました。また、一部の授業でもオンライン方式を導入したりしながら、教育を継続してきました。こうして培われたノウハウは、コロナ禍が終息を迎えたあとも活かされていくことになるのではないでしょうか。

他方で、オンライン方式の限界も感じています。例えば、授業や国際シンポジウムでは、休憩時間や会議後の時間、ソーシャルイベントのなかで交わされる雑談や意見交換が実際には大変有意義であったりするものなのです。また、一同に会することによって得られる仲間意識のようなものもあります。そうした学びの機会を逃さないために、オンライン式と対面式のバランスを見ながら、今後もより効果的な教育環境の構築に尽力していきたいと思っています。


海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第32号】 - ■高校生の頃に憧れた職業

■高校生の頃に憧れた職業

私の親族に自衛隊関係者がいたわけではなく、自衛隊に入隊することになるとは夢にも思っていませんでした。子供の頃、よく観ていたTV番組『兼高かおる世界の旅』の影響からか、世界中を飛び回るパイロットや外交官といった職業に憧れていました。しかし外交官やパイロットになるための方法を調べてみると、ハードルが高く自分には無理なのではないかと考えました。また、尊敬する恩師の影響で学校の先生になろうかと考えたこともありましたが、進路についてはなかなか定まりませんでした。

そんな折りに、父が戦中戦後の体験談を交えた話を聞かせてくれました。父は戦前の満州で生まれ育ち、幸運にも終戦前に進学のために帰国しています。ところが終戦時に満州に残っていた居留民は、ソ連軍の南下で生命の危機にさらされ、一部の人々はソ連軍に身柄を拘束されてシベリアに送られたり、多くの残留孤児を生み出すことになりました。当時、満州には関東軍が駐留していましたが、満州にいた日本人を守るはずの関東軍は居留民を守らずに満州から逃げ出し、いざというときに軍隊として機能していなかったと父は語りました。陸海軍に憧れていた父は、その事実に強い憤りを感じていたそうです。しかし、戦後に生まれた自衛隊は、真に国民を守るためにできたものであり、その自衛隊の幹部を養成する機関に防衛大学校というものがある、と結んだ上で、選択肢のひとつとして「防衛大学校を受験してみてはどうか」と勧めてくれました。

話を聞いたときはあまり具体的にイメージできませんでしたが、それからまもなく、自衛隊記念日観閲式のチケットが手に入り、朝霞駐屯地が実家の近所だったこともあって、見学に出かけました。そこで防衛大学校学生隊が一糸乱れず隊列を組んで行進する姿は、わたしの目にはとてもまぶしかった。その強い感動があって、防衛大学校への進学を決意したんです。父も、喜んでくれました。
海上自衛隊を志すきっかけになったのは、防大時代の部屋長です。防衛大学校は完全な団体生活で、当時は1年生5人と4年生の部屋長ひとりが同じ部屋で寝起きをしていました。この部屋長が素晴らしい方で、海上要員で海自のパイロットをめざしていたんですよ。尊敬する先輩が海上自衛隊を志し、さらにパイロットになるために一生懸命勉強したり体を鍛えているその姿が、自分の思い描く将来の姿に重なったんですね。部屋長は最終的にパイロットでなく戦術航空士となり、わたしも同じ道を歩みました。これもなにかの縁かもしれません。

1989年に防大を卒業して海上自衛官に任官し、それからさらに1年間の教育訓練を江田島で受けたあとの遠洋航海では、マレーシア、オーストラリア、タヒチ、ハワイ、北米・中南米諸国とめぐって、それらの国に上陸して見聞を広めました。まさに『兼高かおる世界の旅』のようにいろんな世界に行けたわけですよ。遠洋航海が終わったあとは山口県の小月航空基地で初等の操縦訓練を受けた後に航空士になり、下総航空基地でおよそ2年の訓練を終了したあと、平成5年に厚木航空基地の航空隊勤務となりました。

厚木航空基地では航空士としての訓練を続けながら最初の1年は甲板士官として働き、2年目には米軍との渉外幹部として姉妹航空隊であった米軍の航空隊の担当者との調整役を担うことになりました。米軍との調整役、ちょっとした外交官の気分ですね。これがきっかけで英語を真剣に勉強するようになり、それから約30年、海将になるまでに海外22ヶ国、合計約40回ほど海外に出張して、諸外国の海軍等と調整、協議する機会を得ることになりました。

そして航空隊勤務の次は、なんと防大の指導教官になりました。教室で生徒に授業をするというよりは、学生への生活指導や訓練を担当する教官でしたが、高校生のときに描いた将来の夢、パイロット、外交官、先生を、わずかに形は違うものの、海上自衛隊ですべて実現した形になったのですね。これには、ちょっと驚きました。自衛隊にいると、いろんな形でチャンスが巡ってくるんですよ。本当にすごい職場です。


海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第32号】 - ■計画を立て、訓練して備えるのが自衛隊

■計画を立て、訓練して備えるのが自衛隊

これまでの経歴のなかでやはり強く印象に残っているのは、2020年の新型コロナ関連、特にダイヤモンド・プリンセス号にまつわるものですね。対象が船ということで海上自衛隊に派遣の命令が下り、わたしは横須賀地方総監部幕僚長として第一陣の人員の派遣に関わりました。

当時、まだ新型コロナについて詳細がわからず、感染すれば隊員にも死の危険があると認識していました。そこで派遣に関しては部隊内から志願者を募ったのですが、特別な事情を抱える隊員以外の全員が「行かせてくれ」と手を上げてくれまして、あのときは強く感動しました。陸上自衛隊と違って、海上自衛隊から派遣する隊員には化学関連のスペシャリストはおらず、感染症の知識も全員が十分持っていたわけではありません。それでも、危険な任務を買って出てくれたんです。そこで海上自衛隊の医官達からウイルスについての基礎的な教育を受けるとともに、消毒や防護服の装着法などの感染症対策も短期間で一からトレーニングし、派遣にこぎ着けたんです。

自衛隊には行動の一つひとつに手順があります。それは、その手順さえ守っていれば重大事故は起きない、必ず命は助かるというものです。この〝基本に忠実であれ〟というのは、入隊時から絶えず徹底していることなんです。特に新型コロナ対応は常に手探りの状態でしたから、不用意に手順を省略すると重大な結果につながりかねません。しかし基本手順が遵守された結果、ダイヤモンド・プリンセス号に派遣した部隊からは、ひとりの感染者も出さずに済みました。これは自衛隊の組織としての強みだと考えています。

自衛隊では常に有事への備えを怠りません。その一つが「計画」であり、もう一つが「訓練」です。訓練は想像しやすいでしょうが、計画はその前段階として、どのような事態が発生しうるか想定し、有事の際にどのように行動するかを事前に定めておくことです。東日本大震災のときも、陸自東北方面隊を中心に十分な計画が策定され、東北での震災・津波を想定した訓練を実施していたことが活きたと思います。ほぼ東日本大震災と同じ内容を想定し、どう行動するか計画が決まっていたからこそ、速やかな災害派遣が可能だったのです。それでも想定外の事態も起きますから、そんなときには基本に忠実な行動で対処。ダイヤモンド・プリンセス号の一件が、まさにそれに該当するものでした。

■隊員と隊員の家族の誰もが海自のチーム
海上自衛隊には、山村浩海上幕僚長が示した海上幕僚長航行指針の中に『自衛隊員と家族』という項目があり、そこには「海上自衛隊は隊員と隊員の家族の誰一人も海自チームに欠かせない一員と考えています」「海上自衛隊は、隊員と隊員の家族を共に歩む大切な存在と考えています」と書かれています。

海上自衛隊の隊員は、任務の性質上、長期間、家族と離れて洋上で過ごすこともあり、その間のご家族の不安や負担も少なくありません。そのため、家族の皆さんも海自のチームの一員として捉え、困ったことがあったときには海自でサポートできるようにしているのです。例えば、海外任務のため長期航海に出る隊員と家族間にはメールやスカイプ等による定期的な通信機会を設けたり、各地方総監部には家族専用の相談窓口を設けたりするなどして、家族をサポートする体制を整えています。

これから自衛隊に入隊しようか迷っている人は、まずは基地やそこで働く隊員の姿を見に来てください。海上自衛隊には船や飛行機、車両に乗る人、それらを整備する人、その他、情報、通信、施設、経理、補給、気象など地上で勤務する隊員もたくさんいます。そして、そこから何か感じるところがあれば、ぜひ入隊していただければと思います。一度しか経験できない人生が充実したものになるはずです。


海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第32号】 - 海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 プロフィール

海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 プロフィール

海上自衛隊幹部学校長
海将
真殿知彦
まどのともひこ
出身地:千葉県

平成元年3月 海上自衛隊入隊
平成16年3月 海上幕僚監部防衛課兼内局防衛局防衛政策課
平成18年12月 第2飛行隊長(八戸)
平成21年7月 海上幕僚監部防衛部装備体系課航空機体系班長
平成23年8月 第1航空隊司令(鹿屋)
平成24年7月 海上幕僚監部防衛部防衛課長
平成26年8月 第2航空群司令(八戸)
平成28年3月 海上自衛隊幹部候補生学校長(江田島)
平成29年8月 統合幕僚監部防衛計画部副部長
平成30年12月 横須賀地方総監部幕僚長
令和2年12月 現職


【自衛隊応援クラブ第32号】海上自衛隊幹部学校長 海将 真殿知彦 スペシャルインタビュー 真殿知彦 海上自衛隊

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