航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子【自衛隊応援クラブ第30号】 情報分析による徹底した 水際対策でコロナ感染阻止 一般社団法人DSC 自衛隊応援クラブ

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航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子【自衛隊応援クラブ第30号】

会報誌

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2021-2-1

航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子【自衛隊応援クラブ第30号】 - 情報分析による徹底した 水際対策でコロナ感染阻止

情報分析による徹底した 水際対策でコロナ感染阻止

女性初のミサイル防衛部隊指揮官、歴代3人目の女性将官、総理に称賛された女性初の統幕報道官。古来、先駆けは武門の誉、 同時に「最初の一撃はいつでもどこでも無謀な試み」。学校長兼基地司令として古巣に戻られた小野打空将補にお話しを伺った。

■第4術科学校は情報分野のエキスパートを育成
私が基地司令を務めております熊谷基地には、航空自衛隊第4術科学校および第2教育群、航空システム通信隊の第1移動通信隊、そして航空警務隊の熊谷地方警務隊が配置されています。第4術科学校長の職も、私が兼任しています。航空自衛隊に4ヶ所の基地に第1〜第5術科学校があり、いずれも専門分野別の教育訓練が行なわれています。現在、浜松基地の第1術科学校(令和元年度末、第1及び第2術科学校が統合)では航空機および機材・兵装などの整備運用に関する教育訓練が行なわれており、芦屋基地の第3術科学校では総務や経理、補給、輸送など、小牧基地の第5術科学校では航空管制を中心とした教育訓練が行なわれています。そしてここ熊谷基地の第4術科学校では、通信や情報、気象などに関する専門教育訓練を実施しています。私自身、入隊初年度に奈良基地の幹部候補生学校で学んだ後、情報幹部としてのキャリアをスタートさせるに当たって、ここ第4術科学校で学びました。いわば母校に、三十数年ぶりに校長として戻ってきたわけです。
熊谷基地で学ぶ一般曹候補生及び自衛官候補生の隊員は、高校を卒業して自衛隊に入隊した18〜19歳の若者が中心ですが、現在32歳まで入隊が可能なので、幅広い年齢層の隊員を受け入れています。春には学生の合計がおよそ1200〜1300人となり、基幹隊員を含めると全体で約2000人まで膨れ上がり、これが11月くらいには数百人まで下がって、新たな隊員を迎え入れる12月にはまた増えて、ということを繰り返しています。一方、基地司令の仕事ですが、基地全体の運営統括とともに、地元の皆様に熊谷基地をよりよく御理解いただくための活動に注力しています。その一環として、4月にさくら祭、8月に納涼祭、11月にヘリコプターの体験搭乗なども実施しており、地元の熊谷をはじめ全国各地から多くの方々がお越しくださいます。屋台の出店なども多く連なり、さくら祭などは例年1万人の方がお越しくださって賑わっています。残念ながら2020年はコロナウイルスの影響でそれらの催しは中止になってしまいましたが、来年の春には再開できそうかどうか、いまも検討を重ねているところです。また、この熊谷基地は旧軍の熊谷陸軍飛行学校の跡地を利用しており、敷地内には当時からの緑が多く残されています。桜は戦前から有名だったそうで、いまは老木が増えてきたので植え替えを進めています。そしてもうひとつ、飛行場があった施設ならではの木が、庁舎の周囲に残されている松です。ここから飛び立った飛行機が無事に帰還するのを“待つ”というのにかけて、何本も植えられたそうです。


航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子【自衛隊応援クラブ第30号】 -

■地方のサイトに女性用施設がなく航空幕僚監部へ
私は中学生の頃に見た映画『007』のシリーズが大好きで、情報戦や国際情勢などに興味が広がりました。これが長じて、大学では国際政治を専攻して安全保障論や軍事情勢などを主に学びました。将来、軍事情勢などの情報分析を手がけたいと考えるようになり、就職先を具体的に検討したときに、国家規模の最先端情報を扱っている組織として、初めて自衛隊を意識しました。当時の防衛大学校では女子学生を受け入れていませんでしたから、自衛隊で情報幹部を目指すなら、大学卒業後に一般幹部候補生の枠で入隊するというのが一番自然な形でした。親族や身近なところに自衛官がいたわけでもなく、それまで自衛隊に関する深い知識もありませんでした。仮に防衛大学校が女子学生を受け入れていたとしても、高校卒業の時点でそこまで強い意識を持っていたわけもなく、たぶん気づいていなかったでしょうね。防衛大学校が女子学生を受け入れるようになったのは、私の高校卒業から9年後のことでした。入隊初年度は先ほども申し上げたとおり奈良基地の航空自衛隊幹部候補生学校で基礎的なことを学ばせていただきました。現在は女性の数も増えていわゆる男女合同のクラス編成ですが、当時は女性がきわめて少数で、各期に4〜5人しかいませんでした。私の同期も私を含めて4人、全体でも部内幹部の女性がひとり加わり計5人しかいませんでした。そんな状況は、幹部候補生学校を修了したあとも続きます。通常、情報の初級幹部はまず北海道の根室や稚内などのレーダーサイトに赴任しますが、私の赴任に関してはサイト側が難色を示したのです。なぜかというと、女性用の施設がないから。赴任するというのは、現地の隊舎で寝起きして、しかるべき施設で働くことを意味します。しかしそもそも男性ばかりだった当時のサイトは、女性隊員用の隊舎がない、更衣室がない、きわめつけは女性用トイレすらないという状況だったのです。そのため私は幹部候補生学校を修了すると、いきなり航空幕僚監部調査部(当時、防衛庁は港区六本木)の所属となって、そこからここ第4術科学校に入校、その後は府中の航空総隊司令部で勤務しました。経験を積んでいないうちから中央勤務をするのは、きわめて異例な人事だったと思います。いまは地方のレーダーサイトでも女性隊員を受け入れる設備は整っていますから、男女分け隔てなく任務につくことができますが、当時は女性隊員も受け入れる側も、いろんな意味で大変でした。
私は幕僚組織にいたこともあって、若い頃はいわゆる部下を率いて部隊を指揮するという機会はありませんでした。それまで班長となって班員を指導することはありましたが、部隊長になって初めて部下を持ったのは、自衛隊の入隊から17年が過ぎた平成16年のことです。二佐に昇任して三沢基地の作戦情報隊第1警戒資料処理隊長を任されまして、ここでは情報のプロである多くの部下の皆さんに支えてもらいました。これまで幕僚で働いていたときは常に最終決断する組織の長に当たる人が近くにいてくれましたが、部隊長の立場になると、自分の采配で部隊が動きますから、責任の重さを痛感しました。それ以降は群司令などの職が多く部下を持つ機会も多かったですが、そのなかで特に印象に残っているのが、平成29年に第6高射群司令に任じられたときですね。いわゆるペトリオットミサイルの部隊です。それまで主に情報畑で仕事をしてきましたが、ここで指揮するのは戦闘部隊です。しかも当時は、北朝鮮がミサイル発射予告なしに、例を見ない頻度でミサイルを日本海等に向けて発射しており、これに即応する部隊を展開する事態になっていましたから、緊迫した状態の中で、片時も携帯電話を手放すことができませんでした。


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■ふたりの統合幕僚長から器の大きさを学んだ
北朝鮮との緊張状態が続いた中で、第6高射群司令の在任は1年で終わり、空将補に昇任して市ヶ谷の統合幕僚監部報道官になりました。第5代統合幕僚長河野克俊海将、第6代統合幕僚長山崎幸二陸将と2代に渡って報道官として仕事をさせて頂き、私は組織の長としての器の大きさを学びました。
河野統幕長のエピソードで一番印象に残っているのは、韓国で開催される国際観艦式で旭日旗を掲揚しての参加を拒否されたことを受けて海上自衛隊が不参加を決めた際の記者会見です。こうした会見の際には想定される質問に対する回答案を報道官として事前に準備しておくのが通例で、このときも「なぜ参加しないのか」「自衛艦旗を降ろして参加すればいいのではないか?」「旧日本軍の旗だから問題があるのではないか?」などの質問を想定して、それぞれについて「これは大漁旗や節句の祝いでも使う日本の伝統的な旗で、軍事的な旗ではない」などといった、社会的に大きな波紋にならない回答案を用意して河野統幕長にお渡ししていました。しかし実際の会見の席で河野統幕長は「海上自衛官にとって自衛艦旗は誇りの旗であるから、決して降ろすことはない」と、はっきりおっしゃいました。私の用意した原稿は使わず、事前に原稿を修正するようこちらに命じることもできたはずなのに、そうはせず、すべて自分の責任で発言されました。現場にいた私たちも記者の方たちも驚きましたが、自衛官の誇りを自衛隊のトップである統幕長がはっきりと言葉にしてくださって、ものすごく感動しました。指揮官のなんたるかを学ばせてもらった瞬間でした。
現職の山崎統幕長は、旧陸軍の名将として語り継がれる宮崎繁三郎少将や栗林忠道中将を連想させる、温かみがあってどっしりと構えた佇まいです。私が統合幕僚監部を離れ第4術科学校長に就任したある日、お電話を頂きました。ワークライフバランスなどをテーマに部内で発行されている冊子に私が寄稿したことがあって、それを山崎統幕長が目に止めてくださったようです。「あれは素晴らしかった、元気でやれよ!」とおっしゃっていただきました。職務上でほんの5ヶ月弱の接点しかなく、しかもいまは異動になって顔を合わせる機会もなくなった部下をきちんと記憶していて、折りに触れて激励の言葉を寄せてくださるわけです。たぶん、私だけでなくあらゆる人に対して同じように気を配られているのでしょう。言葉をかけられた側は感動しますよね。人で成り立っている自衛隊のトップに立つのはこういう人なんだな、と実感しました。

■初動態勢が問われるコロナ対策
なかなか収束の兆しを見せないコロナへの対策は、大きな課題です。自衛隊は危機管理の組織ですから、こうした問題に直面した際の初動対応は、手慣れている一面もあります。しかし、多くの学生が狭い建物のなかで共同生活を送る術科学校では、クラスターを発生させないためにより神経を尖らせる必要があります。最悪の事態を想定した検討準備を重ね、いざとなればすぐに実行できる態勢を構築しています。また、クラスターが発生した状況の情報を収集、他の学校・基地・駐屯地での対策法などを分析し、水際対策を徹底しています。自宅通勤の隊員に少しでも風邪の症状があれば自宅待機を命じ、もし学生に同様の者がいれば即座に別室に隔離して検査および経過観察。週末に許可される外出でも「繁華街に出ないように」と指導しています。かれらは日本全国から集められて熊谷に来ています。自衛隊員であると同時に、ごく普通の若者でもありますから、「熊谷に来たら休日には東京に遊びに行こう、ディズニーランドに遊びに行こう」などと思い描いていたりします。しかし今年は、そうした計画はほぼ実現できていないでしょう。可哀想だなと思うこともあります。しかし、そうした生活上の不便さは日本中の国民の皆さんが共有している部分ですし、ことに自衛隊員が起点のクラスターを市街地で発生させること、自衛隊が機能不全を起こすようなことがあってはならないので、行動に気の緩みが出ないよう指導を徹底しています。


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■女性の職場としての自衛隊は理想的環境
私が入隊した当時、女性隊員は数えるほどしかおらす、与えられる任務も会計や総務など、いわゆる後方業務に限られていました。しかし、今では女性隊員もごく普通の存在となり、あらゆる職域でその姿を見かけるようになりました。体力が求められる消防や警備関係、さらには戦闘機パイロットとしても女性隊員が活躍しています。隊員個々の希望や適性に合わせた人材配置が進められるほどに組織も成熟してきています。もちろん、地方のレーダーサイト等でも女性隊員を受け入れられるよう女性隊員用の隊舎も準備されています。配属に関しても、組織要求がありますので必ずしも希望が通るわけではありませんが、適性や希望が考慮されます。制度面でも現代社会で女性の多くが直面してきた問題をサポートする施策が積極的に取り入れられており、男女を問わず介護や育児に関するフォローを受けることができます。このあたりは、国の機関ですから民間企業に先駆けて導入されるのです。もちろん、出産休暇や育児休暇が昇任に影響するということもありません。航空自衛隊はその職務上、転勤が多くなりがちですが、それも可能な限り回数を減らすよう検討が重ねられています。さらに、これまで男女の隊員が結婚した場合は勤務地を別にするのが通例だったのですが、いまは夫婦が離れて暮らす必要がないよう互いを近隣の勤務地に配置しています。そうしておかないと出産や子育てに支障が出ます。女性隊員にとって自衛隊は、かなり理想的な環境を整えた職場であるといえます。

「令和」の時代を創るのは皆さんです。
生き方も働き方も更に多様化の方向へ向かっており、自衛隊も更に多様化するでしょう。女性の皆さんにはその中で男女の違いを多様性の一つとして生かして欲しいと思います。女性だから気づくこと、女性だからかけられる言葉もあると感じます。女性を否定するのではなく一つの個性として、強みとして生かしてください。そして、男女を問わず隊員個々の適性に応じた任務で安全保障の一翼を担いましょう。

----- 熊谷基地所在部隊 -----
▶第4術科学校
新隊員課程、幹部課程を卒業した航空自衛官に部隊での業務に必要な知識及び技能を修得させることを目的として通信・情報、気象並びにIT関連、通信器材等の操作及び整備についての教育訓練を行っています。また、熊谷基地における基地渉外や後方業務(宿泊給食、施設維持管理など)を担当しています。

▶第2教育群
新たに採用された隊員に対し、基本的な教育や訓練を行うほか、空曹に昇任する自衛官及び上級空曹へ昇任した自衛官に対する教育を実施しています。新入隊員は、約3ヶ月間に航空自衛官として必要な基礎的知識や教練等の教育を受け、その後、技術教育を修得するため全国にある航空自衛隊の部隊や術科学校に赴任します。
▶第1移動通信隊
全国どこへでも迅速に展開し、自衛隊の通信系を構成する部隊で衛星通信装置を始め、各種無線通信装置のほか、車両及び発電機などを保有し、有事は勿論、大規模災害に活躍している部隊です。
第1移動通信隊は、過去において御巣鷹山日航機墜落事故や阪神淡路大震災の際、重要な役割を果たしました。

▶熊谷地方警務隊
熊谷地方警務隊は、司法警察業務を行うほか、要人警護や防犯活動などの保安業務を行い、部隊等の秩序維持にあたっています。


航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子【自衛隊応援クラブ第30号】 - 航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子 プロフィール

航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子 プロフィール

航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令
小野打泰子
おのうちやすこ
出身地:東京都

昭和39年8月19日生(56歳)
昭和62年3月 青山学院大学卒(国際政治学)
昭和63年2月 航空資料作業隊
平成4年8月 航空総隊司令部 防衛部
平成16年4月 作戦情報隊 第1警戒資料処理隊長
平成20年8月 航空幕僚監部情報課計画班長
平成21年12月 西部航空警戒管制団 基地業務群司令
平成23年2月 航空幕僚監部 情報運用室長
平成25年3月 航空教育隊 第1教育群司令
平成26年3月 航空幕僚監部 総務調整官
平成28年4月 航空教育集団司令部 総務部長
平成29年9月 航空自衛隊 第6高射群司令
平成30年8月 統合幕僚監部 報道官
令和元年8月 現職


航空自衛隊第4術科学校長 兼 熊谷基地司令 空将補 小野打泰子 スペシャルインタビュー 空将補 航空自衛隊

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