佐藤正久 参議院議員前外務副大臣 スペシャルインタビュー 【自衛隊応援クラブ2019年vol.2】
会報誌
一般社団法人DSC
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災害派遣・生活支援、自衛官の方々の活躍に敬意を表します。「ありがとう自衛隊」
我が国の周辺国家は独自の主張に基づいた国際秩序を目指し、日本海、東シナ海、南シナ海の海空域において軍事活動を拡大・活発化しており、自衛隊の対応が求められる事案が増加している。佐藤正久前外務副大臣にシーレーンと南西諸島についてお話を伺った。このインタビューは東京の海運会社のタンカーが攻撃を受けた数日前に議員会館で収録しました。この攻撃は「ホルムズ海峡の緊張が高まっている」と佐藤先生に言われた矢先の出来事でした。
「オイルシーレーン」私が自衛官時代1996年、2004年に海外派遣で行った中東は、現在日本の油の約8割、天然ガスの約25%を産出しています。1日約60万トンの油が来なければ日本の経済も生活も維持できないといわれています。中東から日本までを衛星写真等で撮ると、約90隻のタンカーが日本とペルシャ湾を結ぶ航路上に見られます。オイルシーレーンはペルシャ湾から緊張が高まるホルムズ海峡に集束しオマーン海、そしてインド洋へと続きます。ムンバイ、ゴアの沖合を通過し、スリランカ沖合を越えてインド洋を東に進み、スマトラ島北岸に達するとマラッカ海峡に集束します。マラッカ海峡、シンガポール海峡を過ぎると否応なしにグレーゾーン事態が継続する南シナ海が広がります。このルートをマラッカルートとしたとき、日本までは約20日間です。タンカーの乗組員の殆どは外国人であるため、南シナ海で軍事的緊張が更に切迫すれば乗組員が船を降りてしまいます。マラッカ海峡を迂回し、より南のインドネシア中部小スンダ列島のロンボク島とバリ島とを隔てるロンボク海峡からカリマンタン島(ボルネオ島)とスラウェシ島との間にあるマカッサル海峡に至るルートをロンボク・マカッサルルートとした場合は日本まで約25日間です。片道でおよそ約1000海里(約2000キロ)の遠回りとなり、船の燃料費など損失が出るうえ、5日間の空白を埋めるためにタンカーの便数を増やすことは容易ではないでしょう。また、VLCC(32万トン未満タンカー)の運行コストは1日約1600万円、単純計算でも約8000万円余計にかかります。南シナ海の通行は出来なくなるおそれがあるため、今のうちからロンボク・マカッサルルートにレーダー配備を含め、安全な航行が出来るように整備しなければなりません。
「航行の自由」「自由で開かれたインド太平洋」
南シナ海の緊張が更に高まらないためにも、中国には国際社会において、地域とのより協調的な役割を期待したいとともに、我が国は「自由で開かれたインド太平洋」のもと地域の安定と平和の実現に向けて各国と協力し、能力構築支援や共同訓練を行っています。インド太平洋方面派遣訓練(IPD19)として、護衛艦「いずも」護衛艦「むらさめ」が4月30日から7月10日まで派遣されましたが、護衛艦「いずも」に陸上自衛隊水陸機動団が乗船して、ブルネイ・ダルサラーム国、マレーシア、フィリピン共和国、シンガポール共和国、ベトナム社会主義共和国の5カ国を訪問し、インド太平洋地域の各国との共同訓練を行いました。
「バシー海峡→南西諸島」オイルシーレーン
マラッカ海峡、南シナ海を抜け、日本にむけて北上した先にはバシー海峡があります。バシー海峡は中華民国台湾島南東の蘭嶼(蘭島)に隣接する小蘭嶼(小蘭島)と、フィリピン領バシー諸島(バタン諸島)最北にあるマヴディス島との間にある約100キロの海峡を指します。中国人民解放軍は海峡の海上、空域を対米戦略上の防衛ライン第1列島線として、第2列島線に至る海空域で訓練しています。
バシー海峡を通過すると南西諸島が広がります。中国人民解放軍は海上優勢・航空優勢を試みるかのように、尖閣諸島付近に海警を巡航させ、中国人民解放軍海軍は宮古島と沖縄本島の間を太平洋に抜けて訓練航海しています。昨年7月、中国海警局は中国共産党中央軍事委員会の指揮を受ける中国人民武装警察部隊海警総体として編入されました。また、2018年度航空自衛隊機のスクランブル発進999回のうち658回は中国の爆撃機や戦闘機でした。2017年6月は第2列島線を意識するかのように爆撃機が和歌山沖に飛来しました。硫黄島以外に日本の南の太平洋上には飛行場がなく、こういったことにも対処するため新たな防衛計画の大綱(防衛大綱)と中期防衛力整備計画(中期防)の中で護衛艦「いずも」型改修し、甲板から離発着できる航空機を搭載運用することにより太平洋側の海空域を警戒するとしております。
南西諸島は、全長約1,200kmにも及ぶ広大な地域に約1,000の島嶼を抱え、一部の島は空港や自衛隊の艦船が使用できるような十分な港湾を有していません。鹿児島の薩南諸島、沖縄本島、先島を含めると、ちょうど本州がすっぽり入るぐらいの大きさになります。沖縄本島から最西端の与那国島は約650キロあります。東京から姫路までの距離です。宮古島から更に与那国島は約300キロ以上離れており、尖閣諸島も220キロ離れています。上空から監視するため航空自衛隊那覇基地より航空自衛隊機がスクランブル発進しています。航空自衛隊那覇基地から与那国島まで約650キロ、福建省霞浦県の中国人民解放軍水門空軍基地から与那国島は約450キロと約200キロも近いのです。さらに、海上自衛隊の護衛艦が数多く存在する基地は佐世保ですが、尖閣から約1200キロ離れています。本州がすっぽり入る広さがあるにも関わらす、自衛隊の空白地帯と長年言われてきましたが、現在は奄美大島、石垣島、宮古島、与那国島に陸上自衛隊の部隊の整備が進められています。
「南西諸島を如何に守る」について欠落機能な部分があるので、今回の防衛大綱と中期防を以て色んな形で埋めようとしています。例えば島と島の間を守るため、射程の長いミサイルSSM地対艦ミサイルや高速滑空弾を配備します。車で怪我人を運ぶことは島だから出来ません。赤十字マークのついた専門的な衛生ヘリが日本にはないので、後方にどうやって運ぶかなどの衛生面を非常に考えなければいけません。
また、離島ですから補給物資を部隊に供給する兵站も考えなければなりません。北海道には弾薬を充分に備蓄できる弾薬庫がありますが、南西諸島には非常に少ないのは問題です。ある程度事前に集積する必要があります。長い滑走路がないため航空機からの支援を受けにくく、海が浅い島が多いので大きな船が入れません。小さめの輸送船を陸上自衛隊を中心として配備します。練度を上げるための訓練は欠かせませんが、訓練する場所が必要です。射撃訓練場は奄美大島に造りました。補給物資の兵站の流れについても、しっかりと部隊と併せて訓練しなければ強い部隊は出来ません。佐藤としても、野外で機動する訓練場の必要性、様々な輸送アセットや南西方面の備蓄拠点の整備していく必要性など、引き続き訴えていきます。
自衛隊の部隊がくれば、多くの隊員が勤務し、生活するために様々な機能が必要になります。光ファイバーケーブルを引いたり、ゴミ処理施設やお医者さんも必要になります。地域の活性化は離島振興に繋がります。官舎を小学校の近くに置く、ニーズが高い官舎のキッチンを対面式に、官舎の脇に裸足で遊べる遊具つきの広場をつくる、あるいは石垣島に保養所を借りるなどの若い隊員と御家族の暮らしやすい環境を整備することは処遇改善策の一環として我々がやっていかないといけません。
また、部隊がいると災害対応が即応出来ます。阪神淡路大震災の教訓で72時間過ぎると生存率が下がる「72時間の壁」があります。2010年10月の奄美大島で台風の際、鹿児島の国分から災害派遣の部隊が行きました。今は部隊が現地に配備されていますから、災害対応が即応出来ますし、地域の消防団や警察と協力して日頃から訓練も出来ます。あるいは、東日本大震災において多賀城市では部隊900名が救った命は4775名。自衛隊、警察、消防、海上保安庁で救った命が約27000名でした。約5分の1弱を多賀城市の部隊だけで救っています。「現地の部隊がすぐ動くかどうか」「現地に部隊があるかないか?」は地域の災害に対する安全安心に大きく貢献できます。
今年の3月31日奄美大島の瀬戸内町においては歓迎パレードで自衛隊は迎えられました。奄美大島には隊員約700名規模の部隊が新編されました。家族帯同することによって町も活性化します。離島振興に関係する対策の法案作成し支援してきましたが、耕作放棄など人が少なくなって空き地が増えています。人口が減った国境離島では、増えた空き家を外国人に買われてしまうと大変です。自衛隊の配備計画には反対派の多い地域もありますが、事前の充分な説明のうえ理解していただいた関係を構築できれば、「自衛隊の部隊配備」は国防にもなり防災対策にもなり離島振興、地方創生に大きな結果を出せると思います。
次世代に平和な国を引き継がなければならない
私自身、自衛官時代に、危険な任務というものについては色々な思いもありました。いまは政治家として自衛隊員が自衛のための戦争をしなくてもよい国際環境をつくるための平和外交努力、これを徹底的にやることが一番だと考えます。しかし、国家・国民のリスクを下げるために、自衛隊にはリスクを背負ってもらう場合もあります。自衛隊のそういうリスクをやはり少しでも抑える努力をする。自衛隊がしっかり動けるための法的な基盤と同時に、予算・人員・装備という態勢をしっかり整えるということも、政治の責任だと思います。それでもやはりリスクは残るわけですから、国家・国民のためにリスクを背負う彼らを我々は感謝をすべきだし、この瞬間にも任務にあたっている彼らに対して尊敬の念を持つべきだと、私は思います。
参議院議員前外務副大臣
佐藤正久
さとうまさひさ
出身地:福島県
昭和35年 福島県生まれ 佐原小、西信中、福島高校卒
昭和58年 防衛大学校(27期・応用物理)卒
昭和59年 第4普通科連隊(帯広)
平成4年 外務省アジア局出向
平成6年 第5普通科連隊中隊長(青森)
平成8年 国連PKOゴラン高原派遣輸送隊初代隊長
平成10年 米陸軍指揮幕僚大学卒(カンザス州)
平成13年 東北方面総監部防衛部(仙台)
平成16年 イラク先遣隊長、復興業務支援初代隊長 第7普通科連隊長兼ねて福知山駐屯地司令
平成19年 参議院議員(全国比例区)初当選
平成24年 防衛大臣政務官 就任
平成25年 参議院議員(全国比例区)再選
平成28年 参議院外交防衛委員長 参議院自由民主党 筆頭副幹事長
平成29年 外務副大臣
令和元年 参議院議員(全国比例区)3期目当選
“ヒゲの隊長”こと参議院議員・佐藤まさひさ(さとう・正久)。
3期目、全国比例区。自由民主党国防議員連盟事務局長。元参議院外交防衛委員長、元外務副大臣、元防衛大臣政務官、元陸上自衛官。
在職中は国連PKOゴラン高原派遣輸送隊初代隊長、イラク先遣隊長・復興業務支援隊初代隊長、第7普通科連隊長兼ねて福知山駐屯地司令等を歴任。防衛大学校卒。福島県出身。近著に『高校生にも読んでほしい安全保障の授業』(ワニブックス、2015年)等。
佐藤正久 参議院議員前外務副大臣 スペシャルインタビュー 佐藤正久
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