防衛大学校副校長 陸将 梶原直樹【自衛隊応援クラブ第31号】

会報誌

一般社団法人DSC

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同期、仲間との絆を深めることが 自らを成長させる。

防大に関係するすべての人の意識の高さが学生の校内感染者ゼロに!
長期化するコロナ禍 、 自衛官として初代副校長の梶原陸将にお話を伺った。

■〝幹事〟から〝副校長〟に名称変更されて役割が明確に
私は令和2年8月に防衛大学校52代幹事として本校に着任しました。昨年の時点で本校は國分学校長の下に副校長2名と幹事1名という体制でして、副校長と幹事の3名が学校長を様々な側面からサポートする形で運営されてきました。事務官の副校長、教官の副校長、それに加えて自衛官として校内で最高位にあたるポジションとして幹事があり、その任を私が担うこととなったわけです。
この4月から、〝幹事〟という名前が〝副校長〟に変わりました。この変更の最大の狙いは、防大に勤務する自衛官の最上位者として、他の副校長と並んで学校長を補佐するという役割を明確化することです。その背景には、変化する安全保障環境、新型コロナウイルス対策等の危機管理的業務、複雑化する各種事案や学生対応などにあたり、自衛官また卒業生を代表して学校長を支える役割が大きくなっていることがあります。國分前学校長は、こうした考え方に基づき以前から〝副校長〟への名称変更を提唱されていましたが、今回その思いが実を結んだというわけです。
〝幹事〟という名称は長らく用いられてきた伝統的なものなのですが、学校の内外から「副校長と幹事の立場的な違いがわかりにくい」という声が寄せられていました。他の副校長2名が事務官と教官から、幹事が自衛官からの起用で、それぞれの職歴を活かして学校長を支えて防衛大学校の運営に資するということで、実質的に同格の存在なんです。しかし、一般的に〝幹事〟というと宴会の取りまとめ役といったイメージを抱かれがちですし、学生から「副校長と幹事はどちらが上位の役職なんですか?」と訊かれることもあったと聞いています。名称が変わったからといって、私の仕事に変化があるわけではありません。あくまで防衛大学校長を支え、学生のみなさんの修学環境を整えていくのが務めです。しかしこれまで曖昧だった立場が明確になったことで、より積極的に学校長を補佐することが可能になったと考えています。

(写真:令和3年4月2日に執り行なわれた久保学校長着任式。)

■意識の高さが感染者ゼロを維持
世界的なコロナウイルスの感染拡大は、社会的な重大事案です。とくに本校は全寮制で全学生が日常の生活基盤を共有しているということもあり、コロナ対策を重視しています。私が着任したのは昨年の8月で、すでに1回目の緊急事態宣言も解除され、コロナに関する基本的な情報や対処法などは定まりつつありました。しかし蔓延するウイルスを人間側が完全にコントロールすることが不可能である以上、いつ校内でクラスターが発生するかは予断を許しません。そのため現在も管理態勢を十全に整え、万が一の事態に備えています。
平素の生活においても、朝晩の検温を実施しているほか、少しでも学生の体調に変化があった場合は医務室で受診させ、必要があれば他の学生から隔離した状態で療養させます。もしコロナ感染の疑いがあれば、本校の近くにある自衛隊横須賀病院の発熱外来を受診させて、積極的に検査します。授業そのものは現在も対面型式で行なっていますが、ひとつの教場での人員は定員の半分に抑えました。全学生2000名が食堂に揃ってから取っていた昼食も、密を避けるという観点から学生各自が食堂に到着次第取らせ、食事が済んだら速やかに退出するという形に変更しています。1日の授業修了後のクラブ活動も、各クラブをAとBの2グループに分類して活動日を分けました。全学生がクラブ活動をしていると、夕食や入浴が限られた時間に集中しがちだからです。
週末の外出は学生たちにとって数少ない楽しみのひとつですが、これも一定程度制限せざるを得ない状況です。防衛省の方針となる大臣通達を踏まえ、それと整合する形で防大としての行動の基準を学生に示します。それを自分たちに当てはめたときにどうあるべきかというところは、学生同士での申し合わせなども機能していて、学生の自主性に委ねているところもあります。その結果として、帰省間に2名の学生が感染しましたが(回復の後帰校)、校内での学生の発症、感染、クラスターなどは発生していません。個々の学生が高い意識で日頃の行動を律して感染拡大防止に取り組んでくれた結果です。 学生たちはコロナ禍においても元気に過ごしていますが、様々なストレスを受けていることは確かであり、今後も学生の士気を高めるべく、善導に努め、見所のある後輩を数多く育てて部隊に送り届ける ことができるよう、頑張っていきます。
集団感染のリスクを学生・職員・御家族・関係者の皆様が非常に高い意識で共有している事を私は誇りに思っています。

(写真:5月産土祭にて学生と歓談する梶原陸将。自然体を貫き、学生と同じ自衛官の立場で教育環境の充実を考える。)

■安全保障にかかわる仕事
私は昔から歴史小説や大河ドラマが好きで、高校生の頃はちょうど米ソ冷戦が緊張感を高めていた時期でもあり、安全保障の分野に興味を抱いていました。ですから高校卒業後は国際関係論を学べる学校に進学したいと考えていました。そこで国際関係論を専攻として学べる大学を調べてみると、当時はまだ珍しい専攻だったようで、筑波大と防大くらいしか選択肢がなかったのです。普通の高校生なら筑波大を志望するんでしょうが、当時の私は偏差値至上主義的な進路決定に疑問を抱いていていましたので防大を志望しました。
32期生として入校してしばらくは、カルチャーショックの連続でした。高校時代には考えられないほど規律正しさや体力が要求されますし、当時の私はそれまでと違う価値体系の中での生活に自信を失いかけた時期もありました。しかし、これは違う価値観の世界に飛び込むことの代償ですし、それを乗り越えてきたことの意義は大きかったと思っています。
同期の学生とのあいだに生まれた絆も、かけがえのない財産のひとつです。自衛隊は陸海空の3組織が独立していますが、防大時代は要員の別はあっても一緒に過ごします。ですから、陸海空それぞれ異なる道を選んでも、のちに合同でことに当たるときに再会すると、同期というだけで特別な関係性を構築できるんです。同じ苦労を乗り越えてきた仲間という意味では、中学や高校の同級生とは比較できないほどの結びつきがあるんですよ。諸外国の軍隊における士官学校の多くは陸海空それぞれに独立していますから、こうした横の結びつきは希薄です。その意味でも陸海空のスムーズな連携を生む防大の存在価値は大きいといえるでしょう。
防大を卒業後、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校に入校し、初級幹部として必要な戦術、戦史、戦闘戦技訓練、服務などの課目を学びながら、幹部としての 教養、資質、強靱な身体と精神力を培っていきます。高良山登山走や総合訓練などの厳しい訓練 も仲間との絆を深めた良い思い出です。3等陸尉への昇任後は、部隊で勤務しながら幹部初級課程や幹部上級課程などの各職種・職域の基礎教育を受けます。初めて赴任したのは、滋賀県今津の第3特科連隊第5大隊でした。幹部初級課程から部隊に復帰したあとの半年ほどは前進観測班長を任されていたのですが、そこにベテランの陸曹がついてくれて、いろいろと教えてもらいながらの任務遂行でした。

(写真:留学経験を持つ梶原副校長は国際問題に精通するほか語学も堪能だ。)

■2年間の海外留学で得た国際的視野
当時は毎年ひとりかふたりをアメリカの文系修士課程に留学させる制度がありまして、第3特科連隊を離れたあとは2尉に昇任し、平成4年から米国大学院研修に参加させていただきました。私が留学したのはワシントンDCのジョンズホプキンス大学の高等国際問題研究大学院 (SAIS)です。世界の政治の中心地ですから、講師の方々には国防総省United States Department of Defense(DOD) や国務省 United States Department of State(DOS)の現職の方や OBの方が何人もいました。学生にも、昼間は国防総省や国務省で勤務して、夜間のクラスで学位を取りに来ているような人たちがいます。修士課程を修める2年間にわたってそういう人たちと交流が持てたのは、非常にすばらしい経験でした。
その一方で、本来なら部隊で経験を積むべき2尉の時期を海外留学に費やしてしまい、部隊経験が充分でないという気持ちもあります。経験よりも階級が先行しがちな防大出身の幹部にとって、初級幹部時代は現場を知る意味で非常に重要な期間なのです。とはいえ、これまでの現場経験のなかには、忘れ難いものがいくつもありました。なかでも、平成17年に赴任した岩手の第9特科連隊第1大隊長の仕事は忘れられません。第9特科連隊は受け持ち区域に大船渡や陸前高田が含まれていて、当時から三陸沖地震における津波の被害が予期されていました。ですので、地震が起きたときにいかに早く現地に災害派遣し救援活動するかを重視し、訓練や準備に力を注いでいました。平成23年3月の東日本大震災発生のひと月後、私は北海道の東千歳に駐屯する第7特科連隊の連隊長に赴任しました。隷下部隊を災害派遣に送り出していたものの、私自身は駐屯地に留まらざるをえませんでした。幸い、現地指導の機会をいただき、被災地における部隊の活動状況を確認することが出来ました。津波対応こそ部隊が力を一番発揮する重要事項と位置づけて大隊に準備させてきたのは間違いではなかったと再確認しましたが、私がいた当時に想定していたレベルをはるかに上回る甚大な被害を前に、自然災害の恐ろしさを身に染みて実感しました。
私は部隊での勤務のほか、陸上自衛隊の業務計画や予算に関わる仕事にも携わる機会がありました。平成14年からの陸幕装備計画課業計予算係や平成21年からの陸幕防衛課業務計画班長などがそれで、名称に含まれる業計とは事業の趣旨や目的を調整する仕事です。これを予算サイドと協議して最終的な事業・予算編成に落とし込んでいきます。様々な苦労はありましたが、陸上自衛隊としての年度の方針を設定し、部隊が活動するための基盤を整えるという大変重要な仕事に携わることができました。
最近携わった部隊勤務以外の仕事で印象に残っているのは、統幕防衛計画部長(J5)です。日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していく中、自衛隊としての将来の戦い方の検討、日米同盟の強化、各国との防衛協力・安全保障交流の充実など、防大を志した時の安全保障への関心、つまり、「外交と防衛を跨る分野での仕事がしたい」という初心に帰り、陸、海、空の制服が交じり合う統幕という環境で、大変充実した仕事をすることができました。

■自衛隊は現場第一で人を大切にする組織
最後に、これから自衛官を志すみなさんへ。自衛隊は〝現場第一〟で人を大切にする 組織です。 これまでの自衛官人生で壁にぶつかったときに私を助けてくれたのは、同期・先輩 や仲間との絆でした。 自衛隊には様々な職域があり、必ずみなさんの個性や能力に合った「居場所」を見つけることができると思います。国民のため、国のため、そして国際社会のために働ける場所でもあります。みなさんと一緒に働くことができる日を楽しみにしています。

防衛大学校副校長 陸将 梶原直樹 プロフィール

防衛大学校副校長
梶原直樹
かじわらなおき
出身地:東京都

昭和40年4月12日生(56歳)
昭和63年 陸上自衛隊幹部候補生学校
平成1年 第3特科連隊第5大隊
平成4年 ジョンズホプキンス大学高等国際問題研究大学院留学
平成10年 情報本部分析部
平成14年 陸幕装備計画課
平成17年 第9特科連隊第1大隊長
平成21年 陸幕防衛課業務計画班長
平成23年 第7特科連隊長
平成25年 第1特科団長 兼 北千歳駐屯地司令
平成27年 自衛隊東京地方協力本部長
平成28年 東北方面総監部幕僚副長
平成29年 統幕防衛計画部長
令和元年 第3師団長
令和2年 現職

防衛大学校副校長 陸将 梶原直樹 スペシャルインタビュー 陸将 防衛大学

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