第4代 陸上総隊司令官 陸将 吉田圭秀 スペシャルインタビュー【自衛隊応援クラブ第29号】
会報誌
一般社団法人DSC
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自衛隊の活動が新型コロナウイルス感染症により妨げられることはない
新型コロナウイルス感染拡大阻止に向けて世界の各国政府は外出禁止や非常事態宣言など様々な対策を講じている。中国は我が国に対して領空侵犯、領海侵入を繰り返し、北朝鮮は日本海に向けてミサイル実験を再開した。国は、新型コロナウイルス感染症の感染者の急増を踏まえ、4月7日に「緊急事態宣言」を行った。極めて厳しい総合安全保障環境の中、4月15日に就任された陸上総隊司令官にお話を伺った。
陸上総隊司令官のお仕事と役割について
自衛隊はご存知のとおり、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊という3つの組織で成り立っています。それぞれに特性がありまして、これを端的に表現すると、分単位で動く航空自衛隊、時間単位で動く海上自衛隊、日単位で動く陸上自衛隊と表現することができます。つまり陸上自衛隊は、ひとつのオペレーションに長時間を割く性質があるわけです。しかも地域の自治体や行政と連携しつつ、行政区画に応じる形で5つの方面隊(北部方面隊、東北方面隊、東部方面隊、中部方面隊、西部方面隊)ごとに作戦を主宰する体制で運用されてきました。すなわち、陸上自衛隊には大規模オペレーションを担う5つの窓口が存在していました。
一方、海上自衛隊には自衛艦隊司令部、航空自衛隊には航空総隊司令部といった運用を統括する部署が既に設けられています。陸上自衛隊も、これまで統合運用の窓口が方面隊ごとに5つに分散していましたが、これを一本化することにより統合運⽤の実効性向上を図る必要性が強まってきました。こうした中、平成30年3月に陸上総隊が創設され、平時は、警戒監視・情報収集に加え、防衛警備等計画や、大規模震災計画等の作戦運用を定める計画を準備することで、各方面隊等の運用統制を行うとともに、事態が生起した場合には、各方面隊を指揮しながら全国の一体的運用を実施する役割を担うこととなりました。各方面総監を指揮し、作戦運用を統括するのが、陸上総隊司令官の任を担う私の仕事となります。加えて、陸上自衛隊は米陸軍および海兵隊のカウンターパートなのですが、これも今まで国内窓口が方面隊ごとに分散していました。こちらも陸上総隊が一元的に受け持ち、各種調整を行なっております。そしてもうひとつ、陸上自衛隊の主たる実動部隊である5つの方面隊のほかに、陸上総隊の隷下に11の部隊を擁しています。このうち司令部付隊を除く10の部隊は、ここにしかない唯一無二の部隊です。これを運用時のみならず平素の育成まで統括し、実際のオペレーションがあったときに投入指揮していくことも、私の役割です。
新型コロナウイルス感染拡大阻止、災害派遣について−−−
自衛隊全体に言えることですが、まずは自衛隊自身が感染防止を徹底し、その上で我々が日常的に実施している警戒監視、航空自衛隊が担っている対領空侵犯措置、各種任務に直結する演習・訓練等を継続し、即応性と抑止力を維持しつづけることが第一です。周辺国でも新型コロナウイルスが感染拡大していますが、その一方で軍事活動の質量は低下しておらず、我が国も国防上の穴を生じさせるわけにはいかないのです。その上で、新型コロナウイルス感染拡大阻止のための災害派遣を実施しています。その第一段階が今年2月から防衛大臣の下令のもとで実施されたもので、チャーター機で帰国をなさる方々、あるいはダイヤモンド・プリンセス号というクルーズ船で発生した集団感染に際して、検疫の支援や宿泊・輸送の支援、自衛隊中央病院における収容など、ウィルスを国内に持ち込まない水際対策を展開しました。次いで第二段階では、水際から広がってきた市中感染に対する対応を、各自治体からの要請に基づきながら実施しました。水際対策のときは自衛隊中央病院だけが収容しておりましたが、さらに自衛隊の札幌、阪神、福岡病院等、各地域の病院に病床を確保して陽性患者さんを収容しています。また、自治体の求めに応じながら新たな宿泊所をホテル等に開設しますが、その当初の1週間ほどの宿泊支援をお手伝いし、自治体や民間の方が運営できる最初の素地を作ります。さらに、ダイヤモンド・プリンセス号の例をはじめとして我々がオペレーションを経て身に付けた防護措置のノウハウを、教育支援という形で自治体や民間の方に提供し、みずから宿泊、輸送業務を行えるようにお手伝いしました。さらに、当面の感染対応のみならず、我々としては、新型コロナウイルスの感染拡大が国際的戦略環境の不安定化を加速させる要因になるのではないかと危惧していまして、コロナ後に備えて防衛・警備態勢を強化していくことが最も大切な任務であると思っています。今回の7月豪雨については、初夏に線状降水帯の豪雨がもたらす被害、それに係る災害派遣を第8師団長時代に身をもって経験しました。災害派遣要請に対する備えはできています。新型コロナウイルスによって緩みがでたりスピードが遅くなったりということは全くございませんから、御安心ください。
自衛隊入隊の経緯、入隊後のエピソードについて
私は大学3年生のころ、できるものなら国の仕事をしたいと考え、就職先を模索していました。ちょうどそのタイミングで大平正芳内閣のときに作成された総合安全保障研究のレポートを目にする機会がありました。「これは大事なことだ、こんな分野の仕事がしたい」という想いがいっそう強いものになりました。それに則した就職先を調べてみたところ、防衛省自衛隊の幹部候補生は防衛大学校卒業生以外に一般大学出身者にも門戸を開かれていることを知りまして、受験して入隊にいたったわけです。
かなり覚悟して入隊したつもりでしたが、幹部候補生学校入校直後の3ヶ月は大変でした。大学生時代に怠惰な生活を送ってきましたから、朝から晩まで規則正しいスケジュールに追い立てられる生活は経験がなく、あんなに時計の針の動きを遅いと感じた時期はありませんでした。しかし生活習慣を含め、人は3ヶ月で環境にあわせて成長し変化できるものだということも身をもって知りまして、以後は順調に課業をこなし、1年間を経て卒業するときには同期と抱きあって泣いて別れるくらい、思い入れの深いものになりました。
その後、北海道留萌市に駐屯する第26普通科連隊第1中隊に三等陸尉の小銃小隊長として赴任するのですが、ここもまた思い出深い場所であり、時間でした。まったく現場経験のないヒヨッ子が30人の部下を持つ立場になり、そのほとんどが自分より年上、なかには自分の父親と同世代の部下などもいるわけです。肩に力が入りすぎてジレンマに陥る新米幹部の話もよく耳にしますが、私の原隊では自衛官の先輩である陸曹が「防衛大学校や一般大から来た若い幹部たちを、俺たちが育ててやろう」という気風に溢れていたので、公私共に支えてもらい、育ててもらったという記憶しかありません。もちろん任務遂行中は私が上官ですから、命令を出して強制力を発揮することになりますが、訓練にしても、自衛隊での過ごしかたについても、30人の部下から逆に教えてもらったことばかりだと思っています。それに、ひとたび任務から離れれば、部下たちが三等陸尉の部屋に集まり不慣れな北海道での生活を色々と面倒をみてくれる。そうした関係の深さ、隊員たちとの絆の大事さを3年半の第26普通科連隊時代に学びました。私は彼らに恩返しするためにこの仕事を今も続けているといっても、過言ではないかもしれません。その後、静岡県御殿場市に所在する第34普通科連隊第2中隊長として、初めて百数十名の「親父」となる指揮官を務めました。さらに、青森県弘前市に所在する第39普通科連隊の連隊長として赴任しました。ここでの1年間は東北のひたむきな隊員に日々感動をもらうとともに、駐屯地司令として地域に育まれ、文字通り、弘前は「第2の故郷」になりました。司令部を熊本県熊本市北区の北熊本駐屯地に置く第8師団師団長に就任中の2年間は大切な経験を沢山させてもらいました。在任間に第8師団は、南西地域の防衛力強化、島嶼防衛をはじめとする各種事態等に即応し、実効的に対処し得るよう、機動展開能力を向上した全国初の「機動師団」として改編されました。
私は東京都新宿区で生まれ、ずっと東京で育ちました。いろんな地域に行かせてもらったことは、本当に良い経験であり思い出です。任地が私の「ふるさと」です。このほかにも、忘れられない経験がいくつもあります。そのなかのひとつを挙げるとしたら、平成27年8月に拝命した、内閣官房国家安全保障局に内閣審議官のポストで出向したことしょうか。当時の国家安全保障局はまだ創設から間もない組織でしたが、戦略のレベルでいうと一番上のグランドストラテジーを担って、外交、情報、防衛、経済等を使いながら、日本の安全を確保する戦略を策定する部署でした。先ほど触れた、学生時代の入隊動機そのものを仕事として任されたのです。自衛隊で夢中に勤務しているうちに入隊動機はいつしか忘れていましたが、まさに水を得た魚というか、本当にこんな仕事をやらせてもらえるんだと喜び勇んで、充実した2年間を過ごさせてもらいました。やはり、初志はいずれ実を結ぶのですね。
自衛隊隊員の皆様にエールをお願いします
東日本大震災が発生したとき、私は陸幕の防衛課長として陸幕長に随行して現場に参りました。その際、石巻市の大川小学校の近くで隊員たちが胸元まで汚水に浸かりながら御遺体の捜索を続ける姿を眼にして、それまで思い描いていた陸上自衛隊の組織図が大きく書き換えられるような衝撃を感じたことを、今でもよく覚えています。典型的な組織図は陸上幕僚監部、その下に方面隊があって、師団・旅団、連隊、大隊と枝分かれしていきますが、連隊、大隊の隊員が活動して初めて国民の命は救われるし、国家が守られます。それを支えているのが師団、旅団で、その下で支えているのが方面隊、一番下にいるのが陸幕なんだと痛感したわけです。ですから、今この瞬間も、災害派遣で泥にまみれ寡黙に任務を遂行する現場の隊員には、自分たちが国家を守っているのだと誇りに思ってもらいたいと思います。同様に、自衛隊員を家族に持つみなさんも、自分の父や母、息子さんや娘さんのことを誇りに感じていただきたい。私は隊員一人ひとりを誇りに思います。
私自身、清水の舞台から飛び降りるつもりで自衛隊に入隊しました。そして三十数年を過ごして振り返ってみると、自衛隊に飛び込んで本当に良かったと思います。自衛隊という仕事の目的や使命は、国民を守り、領土を守り、主権を守るということ。その使命の純粋さや気高さは、自分自身を懸ける価値があると思います。
併せて、一緒にいる部隊の人間との、もはや「絆」という言葉でさえ平凡すぎるように感じるほどの強い信頼関係の構築や、ワンチームとしての体験ができるというのも、自衛隊の大きな魅力だと思います。さらに、原隊で30人の部下に育ててもらったと述べましたが、実は師団長になっても、いま現在の総隊司令官のポストにあっても、組織や部下たちに気付きを促され、育ててもらっています。自衛隊とは、自分自身の成長をずっと図っていける、そんな職場なのです。
これから入隊しようと思っている方、あるいは防大生の皆さん、思い切って飛び込んでみて下さい。必ずや、それに応えるものが陸海空の自衛隊の中にあると、確信しています。
プロフィール
第4代 陸上総隊司令官
陸将
吉田圭秀
よしだよしひで
出身地:東京都
昭和37年10月30日 生まれ
最終学歴:東京大学 工学部 都市工学科
昭和62年3月 第26普通科連隊(留 萌)
平成2年8月 防衛大学校 指導教官(小原台)
平成4年3月 普通科教導連隊(滝ヶ原)
平成5年8月 幹部学校 指揮幕僚課程(39期)(目 黒)
平成7年8月 外務省 北米局 日米安全保障条約課(霞ヶ関)
平成9年8月 第34普通科連隊中隊長(板 妻)
平成10年8月 陸上幕僚監部 人事部市ヶ谷)
平成12年3月 陸上幕僚監部 装備部(市ヶ谷)
平成15年3月 陸上幕僚監部 防衛部(市ヶ谷)
平成17年8月 防衛研究所 一般課程(目 黒)
平成18年8月 研究本部 (朝 霞)
平成19年4月 陸上幕僚監部 防衛部 防衛課 業務計画班長(市ヶ谷)
平成21年3月 第39普通科連隊長兼ねて弘前駐屯地司令(弘 前)
平成22年3月 陸上幕僚監部 防衛部 防衛課長(市ヶ谷)
平成24年3月 統合幕僚監部 報道官(市ヶ谷)
平成25年8月 西部方面総監部 幕僚副長(健 軍)
平成27年8月 内閣官房 国家安全保障局 内閣審議官(永田町)
平成29年8月 第8師団長(北熊本)
令和元年8月 北部方面総監(札 幌)
令和2年4月 現 職(朝 霞)
第4代 陸上総隊司令官 陸将 吉田圭秀 スペシャルインタビュー 陸将 陸上総隊
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